好きなことってなんだろう

自分がやりたいと思ったことを楽にするためにはじめたこと。

好きじゃないけれど、できないけれど、周りが言うから、はじめたこと。

「周りの人とは違うんだ」皮肉にも、本当に周りの人とは違っていた。

このまま何者にもなれないまま、終わってしまうのだろうか。

20年ぽっちしか生きていないくせに、おこがましく、そんなことを思ってしまう。

成功しなければいけない、今度こそ、親を裏切りたくない。

そんな行動は、毎回悉く空回りしてしまう。

私はずっと『そういう人間』だったのだ。

本当の自分なんて、誰にも見せたことがない。......親友にすら、親にすら。

この時代は、自分の思うこと・描きたいことを突き進んでいい時代だ。

だからこそ、辛い。

今まで、やりたいこと・やってみたいことに幾度なく挑戦してきた。

けれど、すべてが失敗に終わっていた。本当に、数えきれない数をこなしてきた。

失敗する度に、私は親の目が怖かった。

「またすぐやめた」「どうせ何やっても無駄」......いつしか、"私のやりたいこと"は"全て必ず失敗するもの"だと思っていた。

最後に残ったものは幾らかある。......しかし、それが失敗したら?

私は今度こそもう駄目だろう。現に、私の日記は遺書のつもりで書いている節がある。

なんて親不孝な男だ、と世間は言う。だから、なんとか死なずにいる。

本当は死にたくなんかない、生きたい。家族に、親に胸を張って、生きたい。

そのためにやり直そう、立て直そう、と奮起したところで、やりたくもないことを頑張っているため、結局遅かれ早かれまた折れる。

心が折れると非常にやっかいで、何日間も動けなくなる。

この"動けなくなる"症状は、身体が固まって物理的に動けないという話ではない。が、なにか強烈な磁場のようなものが発生していて、私はその内側に留まるしかなくなってしまう。これは鬱症状を体験したことがある人にしかわからない症状だと本気で思う。

最短で2週間は療養しないと、心が完全に死んでしまう。

その2週間という時間は学生にとってかなりの痛手で、もはや何をやっているのかがわからない領域にまで進展してしまう。

世間は、それを甘えだというだろう。

だが、忘れないでほしい。鬱という症状は、想像を絶するほどに辛く孤独な状態だということを。

もう一度 立ち上がれ

私はこの半月、典型的な鬱状態にあった。

私の心は非常に脆い。故に、いくら順調に行っていたといえど、少しのミスや綻びで簡単にほどけてしまう。

他人から見たら滑稽なことかもしれないが、私にとっては重大な問題なのだ。

まず、それを笑いながら話せるような「親友」はすぐには作れないのが難点なのだ。

少し距離がある。その絶妙な距離が、非常に怖い。

おそらく私は、誰よりも人間が好きなのだろう。だからこそ、好きだからこそ、その距離の辛さが大きいのだと思う。

人間は、他者との関係でしか悩みが生まれない。

好きなのに、傷つけてしまう。裏切ってしまう。それが私という人間の全容だった。

結局、私は"変われない"のだろうか?自分の言葉が、重くのしかかる。

いや、ちがう、変わる。変わらなきゃいけない。

こんなちっぽけなことでいつまでも悩んでしまう自分が、情けない。

こんな私を、もう一度受け入れてくれる者などいるのだろうか。あれだけの迷惑をかけておいて、また笑い合ってくれる者が存在するのだろうか。

ここ半月、休めば休むほどその思いが強くなりつづけていた。

虚しさで終わらせてはいけない。

自分の手で、このつまらない私に終止符をつけなければならない。

もう一度、もう一度、もう一度だけ

私は立ち上がりたい。

決断の日

今日、おそらく、私の人生は大きな分岐点にある。

私は、今まで見栄や世間体ばかり気にして、その都度空回りさせては答えを出せず、迷惑ばかりかけてきた。

自分の適正ではない場所に、無理やり入ろうとしていった結果だろうか。

偶然、この"手紙"を見つけて読んでいるそこの貴方には、これが言い訳にしか見えないだろう。

......実際、これはただの言い訳だ。しかし、私のことを良く知るのは、私だけなのだ。

私には、できることがある。進むべき道も、はっきりとしている。

怖かった。その道に進むことで、自分が否定されることが。心中にもないことをして、自分を取り繕うことで、その恐怖を押し隠していた。

結局、僕はあの義務を果たすことができていないのかもしれない。

でも、彼は私に「もうひとつの道」の可能性を見出させてくれた。

私は、足枷そのものだ。だから、彼を開放させたい。「答え」を出したい。

それが、私が、私に勝てる最後の方法なのだから。

刻まれていた誇り

すべての人を裏切ったつもりだった。

また、前のように一人ぼっちになる覚悟だってできていた。......なのに、そこに一本の電話が入る。うるさい、と、私は無視した。結局君も同じなんだろう、かつての仲間......友人に、そんな思いをぶつけようとした。

けれど、彼は違った。

また、僕が歩き出せるように、沈みかけた私の手を握ろうとしてくれていた。

彼は、私が言うにはかなり不器用な人間だ。声も小さくて聞き取りにくいし、センスも人並みかそれ以下だろう。そんな彼を、私は友人のふりをして心の中でバカにしていた。しかし、不器用な彼は、真摯で......純粋な男だった。

私は......なんて愚かな人間だったのだろう?

なんて、つまらない人間だったのだろう。

この私の罪を書き記している今、なにか救われていくような、浄化されていくような気がする。

私の罪は、赦されるものではない。

しかし、彼の手を取ることは、今の私の義務だと思う。

あと少しだけ、こんな私に時間をください。

この沈む街並みの中で、涙をのませてください。

Diary3

最近、自分が能の無い人間だということに気づかされてばかりな気がする。

頭の中で巡る思考は、話に一切関係の無いもの

手を動かせば、活字に気を取られ、意味を噛み砕かないまま丸飲み。

向かう視線は窓の外......

「自分は絶対に他人とは違う」と嫌でも意識させられてしまう。これが良い方向に向いていればよかったのだが、生憎、これは悪い方向の話だ。

もしかしたら、「他人」は私の交友関係の範囲だけでしか見れていない(脳が認識していない)だけなのかもしれないが、それにしても、私の周りの「他人」は優秀な人材に溢れている。

「普通に話を聞けて、急に鬱にならなくて......咳も勝手に出てこない。」ただこれだけでいいのに、それができない。

だからといって、人生に絶望をしているわけでもないし、死にたいとも思ってはいない。むしろ、親には感謝しているので生きたいと思っているくらいだ。

けれど、その感情(親孝行の感情)が重たすぎる。

無償の愛を受けておいて、何も返さないというのは有り得ない、そんな自論を持っている。だから、就職するならいい所に行きたいし、自分の給料で服をあげたいし、食事にも誘いたい。

でも、それが、「普通の他人と同じこと」ができないとわかってしまうと、急に胸が苦しくなる。

 

そこで私は、少しだけ現実から目を背けることにした。

”腐ったフリをして地下茎を伸ばす”という、一種の戦略だ。

ひとつの場所に固執してしまうから、苦しいだけなのだ、と考え始めた。

前に数か月、学費のためにウーバーイーツをやったことがあったが、

あの仕事をやっていて、これほどまでに人生が面白いと感じたことはなかった。

毎回知らない人に会い、たまに会話をしたり、差し入れをもらったこともあった。

「自分は世界の一部にいる」と実感できるのがあれほどまでに心地の良いものだとは思ってもいなかった。私はむしろ逆の思考(世界の部外者)の方が好きだと思っていたからだった。

 

思えば、私の母はこれに似た生き方をしていた。

とにかく茎が長く、丈夫で、面白い伸び方をしている。どこから繋がったのかわからないような素性の人もいて、それだけで興味深かった。

......なんてことを考えていたら、雨が止んできた。

これから少し外に出ようと思う。

真面目な学生

私には向いていないのかもしれない。

...
ノートを取って、精力的に発言して、存在をアピール。
正直、疲れる。

ありがたいことに、40人近く増えた「仲間」は、そういった人種ばかりだ。

しかし、その優秀さが眩しい。

ここ最近、自分のことを客観的見れる機会があったので、今日までの私を振り返ってみた。......結論から言うと、この眩しい環境の中で私が、ただ強がっているだけにしか見えなかった。そうにしか見えなくなった。

恒星の様に自発的に、しかも積極的に輝く彼らを見ると、憎しみがこみ上げてきてしまう。私は、自分のそういった部分が嫌いだし、認めたくない。けれど、彼らは私が思ったよりも優秀すぎた。過度な光は視界を灼き尽くす。

私は優秀にはなれない。この社会には、私と同じような人間が必ずいる。

なのに、見えない。......皆、目を灼かれているから。