再び歩き出す為の力

今日、思い切ってリーダーを降りるつもりで企画を休んでみた。

連絡はしていない。そんな精神的な余裕はどこにもなかった。

罪の意識はなぜか無かった。本当の自分の片鱗を出せた...ということだろうか?

数時間、泥のように眠った。何回も夢を見て、その度に、「あの日」を思い出した。

 

あの日...私は、ある友人と旅をするのがとても好きだった。

旅といっても、中学生が行ける範囲の旅。それでも、私にとっては大冒険だった。

あの冒険で私は、将来もこうやって生きていきたい、と決めていたのだった。

ひとつの理想は砕け散ったが...この夢だけは、離さずに持っていた。

 

長い眠りから目を覚ますと、私は泣いていた。

そして、身体がとても軽かった。

なにか、呪縛から解き放たれたような気分だった。

私はこの数か月間、無意識に祈っていたのだろうか。

 

世界のお話

責任、ストレス、突き刺さる言葉の棘。

なぜ、みんな同じ人間だと思えないのだろうか。

なぜ、それが自分と変わらない、同じ人間だと思えないのだろうか。

そんなことを、社会に出る前のとある体験から考えてしまった。

私はとある企画のリーダーを務めているが、正直これは、失敗だったと言わざるを得ない。まず、自分という人格を押し殺さなければならない。

これは、ある種「自分らしく」をモットーに悠々と暮らしてきた私からすると、非常に辛いことだった。

中学時代、非常に練習が厳しい吹奏楽部を経験したことがあるが、その頃は親友たちと愚痴を言い合ったり、怒られたことをネタに笑い合ったりしていたのでまだ楽しかったが、この企画のリーダーというのは、非常に孤独だ。

勿論、友人がいない訳ではないし、頼れる先輩も、後輩もいる。

しかし、私はそこに居心地の良さを感じない。

自分を露出できない人間関係は、非常に孤独であると思う。

あの頃に、愚痴を言い合った友たちの様な、暖かさを感じない。

その何とも言えない違和感は、徐々に不信感へと変貌していくのだ。

世の中は、どこまでいっても「こんなもの」なのか?と考えてしまう。

そういった不信感が積もっていき...今日、私は、世界が滅べばいいと、電車の中でそんなことを、ずっと考えてしまっていた。

 

世界は美しい。そんなことは、全国を旅したときとうに気づいていたはずだったのに。

しかし私は、世界が滅んでしまえばいい。と考えてしまっていた。

悔しかった。本当は、この世界のことが大好きだったのに、こんなことで世界へ疑問を抱いてしまったことが、ただ悔しかった。

私が居たかった場所と、いるべき場所は違うようだ。

しかし、この企画はやりきらなければならない。

しばし、私は自分を捨てることになるだろう。元に戻れればいいな。

そんな文を綴っていたら、夜が明け始めていた。そろそろ支度をしないと。