Diary3
最近、自分が能の無い人間だということに気づかされてばかりな気がする。
頭の中で巡る思考は、話に一切関係の無いもの
手を動かせば、活字に気を取られ、意味を噛み砕かないまま丸飲み。
向かう視線は窓の外......
「自分は絶対に他人とは違う」と嫌でも意識させられてしまう。これが良い方向に向いていればよかったのだが、生憎、これは悪い方向の話だ。
もしかしたら、「他人」は私の交友関係の範囲だけでしか見れていない(脳が認識していない)だけなのかもしれないが、それにしても、私の周りの「他人」は優秀な人材に溢れている。
「普通に話を聞けて、急に鬱にならなくて......咳も勝手に出てこない。」ただこれだけでいいのに、それができない。
だからといって、人生に絶望をしているわけでもないし、死にたいとも思ってはいない。むしろ、親には感謝しているので生きたいと思っているくらいだ。
けれど、その感情(親孝行の感情)が重たすぎる。
無償の愛を受けておいて、何も返さないというのは有り得ない、そんな自論を持っている。だから、就職するならいい所に行きたいし、自分の給料で服をあげたいし、食事にも誘いたい。
でも、それが、「普通の他人と同じこと」ができないとわかってしまうと、急に胸が苦しくなる。
そこで私は、少しだけ現実から目を背けることにした。
”腐ったフリをして地下茎を伸ばす”という、一種の戦略だ。
ひとつの場所に固執してしまうから、苦しいだけなのだ、と考え始めた。
前に数か月、学費のためにウーバーイーツをやったことがあったが、
あの仕事をやっていて、これほどまでに人生が面白いと感じたことはなかった。
毎回知らない人に会い、たまに会話をしたり、差し入れをもらったこともあった。
「自分は世界の一部にいる」と実感できるのがあれほどまでに心地の良いものだとは思ってもいなかった。私はむしろ逆の思考(世界の部外者)の方が好きだと思っていたからだった。
思えば、私の母はこれに似た生き方をしていた。
とにかく茎が長く、丈夫で、面白い伸び方をしている。どこから繋がったのかわからないような素性の人もいて、それだけで興味深かった。
......なんてことを考えていたら、雨が止んできた。
これから少し外に出ようと思う。