オーバーヘイト
思えば、くだらない日常でした。
いいねとフォローのつながりは、本当に弱い。繋がっていないのだ。
私も、そういうことをしてしまった過去がある。
ここで、懺悔とともに、しょうもない「つながり」について語る。
私が居たのは、とても小さな世界。
どうしようもないくらい狭くて息苦しかったのを覚えている。
でも、そんな中でも、私にとっては明るい世界だった。
集落のように意味のわからないルールを添えて、さっそく一人目が洗礼を浴びせる。
「私はおまえのことが嫌いだ。」
どうして、こういうことを言えてしまう人間がいるのでしょうか。
2年間、疑いもしなかったことを、今も不思議に思う。
なんとか、みんなに好かれようとする一方で、私は私のやりたいことをやっていた。
そのやりたいことが、集落の逆鱗に触れてしまったようで、私は村八分を受けていた”らしい”。
最初から、怪しかった。
逆さになったピラミッドから、恨みが降ってくるのを感じ、でもそれはきっと私へ向けたものではないと信じていたかった。
私にも、いけないところはあるのです。カンペキな人間など、存在しないのです。
つまらない世界だっただろう。
彼らは、私がそれに気づくと、甲高く鬨(とき)をあげる。
「私たちは、勝ったのだ!」
「穢れた男を追い出せ!この地を浄化するのだ!」
味方だと思っていたかつての従者も、掌を返し、攻撃に加わる。
_____ああ、こんな、動物が、私の信じていた者なのだったのだろうか?
あまりにくだらなく、しょうもなくなってくる。
束縛は、きっとここでの挫折とともに、私を見限った。
きっと、愛が欲しかったのかもしれない。
どうでもいい、「動物」たちから、貰う感情。
彼らは、1年後も2年後も、あの檻に閉じ込められたままだろう。
くだらない。人間ですらない彼らに、期待などもう存在しなかった。
私は、償いをしてからこの集落から離れることにした。
一部の「人間」には、悪いことをしたと思っている。償いは、彼らに向けたものだ。
だが_____ここが、区切り -period になるのなら、それがいい。
社会とは、君の周りのことではないか。